3月11日の震災以来,なんだかんだと忙しく,ふと気が付くとすっかり春になっている。私の周囲にある桜も咲き始めた。
いつもなら,山菜を採りに行く私の場所の雪融けなどを気にしながら,自転車の整備に日々費やしてる時期だけど・・・。そんなことを考えていたら,居ても立ってもいられず身体が山の方に向いていた。
山里の直売店なら,そろそろ山菜も出回る頃・・・,ところがさすがに品揃えが寂しい。葉ワサビ,タラの芽,山芋ぐらいしかない。里山だから「こごみ」も出ているのにな~。
結局,タラの芽が6個ぐらい入ったパックと浅葱(アサツキ)2束を買ってきた。これに,我が家の行者ニンニクを加えれば,ちょっとした春の御馳走になる。
帰路途中の大手スーパーに立ち寄ってみると,「こごみ」6本入りのパックが200円で売っていた。「こごみ」6本・・・寂しい・・・もう2週間もすれば,私の場所で沢山採れるから,いや採れるだろうからここは我慢である。
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我が家の行者ニンニクと直売店で買ったタラの芽,この緑色がたまらない・・・。 |
夕食は,行者ニンニクとタラの芽の天ぷら,浅葱の酢味噌和えと春の定番メニュー,私は今日も生きている。
昨日のTVニュースを見て腹立たしいことがあった。ある小学校の教室に避難している一部の奴ら(あえて「奴ら」と言わせていただく・・・。)に,子供たちの授業を始めたいから体育館に移ってくださいとお願いしたところ,体育館は汚れていて衛生的に問題があるから嫌だと言っている。せめて,掃除が終わってから移動を求められるのなら話がわかると言う・・・。
おいおい,自分たちが過ごす場所の掃除ぐらい自分たちでできないのか・・・。マスコミもマスコミで,避難者が気の毒だという趣旨の放送はするが,避難者がこうあるべきだという放送,コメントはしない。被災地は,避難者の天下なのである。
もちろん,避難者のすべてが皆さんがこうだとは思っていないが・・・。
行政は,広く公平にしか働かない。その公平にも,水平的公平と垂直的公平との2種類がある。避難所にいる限り水平的公平を受けられるが,「自分で頑張ろう!」と壊れた自宅で自助努力をしている方には水平的公平は届かない。これは,「避難所にしかいられない人」と「問題はあるにしても自宅にいられる人」との垂直的公平に繋がる。
支援物資が豊富に受けられるが規制のある避難所か,支援物資は豊富ではないが規制の少ない自宅か,これに相応した垂直的公平である。
避難所に関わっていると,本当に個々の人間性が伝わってくる。「私は被災した人間だ!」と態度の大きい人,「お世話になりありがとう!」という慎ましやかな人・・・。
自助,共助,公助とよく言われるが,基本は自助である。
私は,いつも慎ましやかでありたいな・・・(^。^)y-.。o○。